今月のフォーラムは
『小倉百人一首』王朝万華鏡 「百人の物語」
講師は 外部 江口 博氏
芭蕉研究家・書道家
小倉百人一首の
六番歌 「かささぎの渡せる橋におく霜の白きを見れば夜ぞふけにける」家持
七番歌 「天の原ふりさけ見れば春日なる三笠の山に出でし月かも」仲麻呂
この二首の連鎖のお話であった。
かささぎの歌は、かささぎが羽を並べて橋をつくる。
この橋は宮廷への階段。
家持は天を仰いでかささぎの橋を連想し、
目を転じ地上の宮廷の階の白き霜を眺める。
天から連想して次の七番歌、天の原に連鎖する。
詩歌の持てる役割は志を表すものであり、
心を晒さなくてはならない。
和歌は虚にいて実を表す。
芭蕉が俳諧の道を門弟に伝えた書簡に、
[はるか定家の骨をさぐり、西行の筋を辿る]とある。
「謂い応せてなにかある」といった芭蕉。
俳句は言ってしまって何が残りますかと教えられた。
家持は政争の中で左遷、宮中には戻らず
陸奥に死す。
仲麻呂は遣唐留学生であった19歳で長安に渡り
玄宗皇帝の閣僚と栄達し、日本への特使として
帰国を許されたが遭難し帰国はかなわず
唐の土となった。
定家が作った百人一首により
和歌というもの、平和というものを含めて、
夫々の人生を考えさせられた。